寄稿 - 「薩長同盟」のように韓日同盟を結ぶって、正気か(統一ニュース)
5月15日、統一ニュースに韓統連議長の寄稿が掲載されました。翻訳文を紹介します。
寄稿
「薩長同盟」のように韓日同盟を結ぶって、正気か
韓統連議長 孫亨根
去る5月8日、李在明氏の安保通商分野の参謀と言われる金鉉宗(キム・ヒョンジョン)元大統領府国家安保室第2次長が、米国ホワイトハウスで「個人的見解」としたうえで、「現在の状況で、韓日は日本の長州藩と薩摩藩が(江戸幕府打倒のために)協力したレベルで協力する必要があると考えている」と発言した。
私は、どうしても今回の金氏の軽率な発言を看過できないので、ここで問題点を厳重に指摘することにした。
▲薩摩と長州
まず、薩摩藩(島津氏藩主)と長州藩(毛利氏藩主)は、壬辰倭乱(秀吉の朝鮮侵略)時、侵略軍の主力部隊を構成した藩だった。侵略軍の将軍の名で「加藤」と「小西」が一番有名だが、次に来る将軍の名が「島津」と「毛利」であることを忘れてはならない。500年後の今も、彼らに虐殺された朝鮮人の血はまだ乾いていない。
この2藩の出身者が、日本帝国主義の対朝鮮侵略の主役となる。
江戸時代末期、長州藩で思想的指導者だった吉田松陰は著書「幽囚録」(1854年)で「朝鮮を促し、昔のように貢納させよ」と述べているが、この著作が日本の侵略主義の原点の1つだと言われている。吉田松陰の弟子が伊藤博文である。また、その侵略思想に同調し、後に「征韓論」を主張したのが薩摩藩の西郷隆盛である。
▲薩長同盟の行先
1866年、薩摩藩と長州藩は江戸幕府を打倒する共通の目的で同盟を締結した。そして2年後の1868年、江戸幕府が武力で打倒され、長州藩と薩摩藩の人士が中心になった明治政府(明治維新)が出帆する。明治政府の会議で西郷隆盛が征韓論を主張したのは1873年であり、日本の対朝鮮軍事侵略の契機となる「雲揚号事件」が1875年である。言うまでもなく1885年に日本政府の初代首相、1905年に韓国総監に就任した伊藤博文は朝鮮侵略を象徴する人物となった。
こうして見ると、1854「幽囚録」、1866薩長同盟、1875雲揚号事件まで一貫した流れがある。すなわち「侵略主義の芽生え」、「侵略主義者同士の結合」、「侵略の実行」という流れだ。したがって日本歴史の一側面として、薩長同盟は日本の朝鮮に対する軍事侵略への道に繋がった面がある。したがって韓国人が「薩長同盟のように日本と同盟しよう」と言えば、自分自身の心臓に刃を突き刺すことになる。
▲韓日の共通の敵は誰なのか
薩長同盟は江戸幕府打倒を共通の目的とするものだったが、金鉉宗氏は、「韓日同盟」(現代の薩長同盟)の共通の敵を、朝鮮か中国、あるいはその両方と考えているようだ。しかし、朝鮮と中国を仮想敵国にして、韓国と日本が同盟を結ぶことほどの愚行は他にない。それは米国のアジア覇権のために、アジア人同士が争うことを意味する。
薩長同盟のように韓日同盟を結ぶということは、韓国人が侵略主義の日本と組み共にアジアの隣国を攻めるということだ。これは死んでも絶対に拒否しなければならない。
金鉉宗氏よ!李承晩大統領も今回のあなたの言葉を聞けば、顔を赤らめるでしょう。
今後は不適切で軽率な言動を謹んでください。
2024年5月14日
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