寄稿 - 中谷防衛大臣はなぜ「南山之寿」を使ったのか(統一ニュース)

 2月9日、統一ニュースに韓統連議長の寄稿が掲載されました。翻訳文を紹介します。



寄稿

中谷防衛大臣はなぜ「南山之寿」を使ったのか

在日韓国民主統一連合 議長 孫亨根


 日本政府の中谷元(なかたに・げん)防衛大臣の言動に対して、不快感をどうしても払拭できず、ペンを取った。

 2月7日、東京の韓国大使館で「韓日国交正常化60周年を支える会」が開催された。そこで、あいさつを行った中谷防衛大臣は「南山之寿」という文字を書いた色紙を掲げながら「南山はソウルの南山とも親近な言葉で、崩れることなく日韓両国の友好関係が続くことを祈って書いた」と紹介した。

「南山之寿」とは中国にある山に関する故事にならったもので、「寿命が長いこと」「事業が栄え続けること」を意味する。日本で「南山之寿」という熟語が使われるのはきわめて稀で、私自身も中谷氏の発言でこの熟語を初めて知った。

 問題は「寿命が長いこと」「事業が栄え続ける」という意味の熟語は、たくさんあるにもかかわらず、なぜ中谷防衛大臣があえて「南山之寿」を選んだのかということだ。

 日帝強占時代における、建造物の象徴といえば朝鮮総督府と南山にあった朝鮮神宮であった。一世代前の日本人や韓国人が「南山」と聞けば、朝鮮神宮を連想するほどだ。南山の朝鮮神宮は3・1独立運動の翌年1920年に着工し、1925年に完成した。総督府は「皇民化教育」の一つの柱として、韓国人に朝鮮神宮参拝を強要した。朝鮮神宮は韓国人をして「独立万歳」ではなく「天皇陛下万歳」と叫ぶようにすることが目的の施設だった。韓国人の恨みの対象だった朝鮮神宮は8・15解放の直後に閉鎖、解体された。

 中谷防衛大臣は防衛大学校と陸上自衛隊の出身者である。 防衛大学校の前身は陸軍士官学校であり、陸上自衛隊の前身は日本陸軍である。寺内正毅(てらうち・まさたけ)朝鮮総督府初代総督をはじめ歴代の朝鮮総督は現役又は予備役の陸海空大将が就任した。したがって朝鮮総督のほとんどは朝鮮総陸軍士官学校出身者である。寺内正毅は陸軍大臣のまま初代朝鮮総督となった。陸軍大臣の地位は今は防衛大臣が継承していると言えるだろう。歴代の朝鮮総督たちと中谷防衛大臣の経歴が見事に似通っているのだ。その経歴と今の地位を勘案すれば中谷防衛大臣に強い関心を持たざるをえない。

 中谷防衛大臣は、防衛大学校時代にも、陸上自衛隊時代にも、政治家になってからも寺内正毅ら総督たちや朝鮮統治に関する話をいっぱい聞いているだろう。日本の歴史修正主義が幅を利かせるなかで、中谷氏はおそらく寺内正毅らを「偉大な先輩」として尊敬し、さらに彼らの朝鮮統治を美化しているだろうと想像できる。また経歴から見ても中谷防衛大臣が、南山に建造された朝鮮神宮のことを知っているだけでなく、悪いものとはみなしていないと思う。

 全民族が日本の軍国主義復活や再侵略に備えて神経をとがらしている時期に、韓日両政府が歴史問題抜きの韓日条約締結60周年を祝う場で、防衛大臣が人々に「朝鮮神宮之寿」を連想させるような「南山之寿」を掲げることに驚きと危惧を感じたのは私だけだろうか。



中谷防衛大臣はなぜ「南山之寿」を使ったのか(統一ニュース)




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