【統一ニュースへの寄稿】「ソウルの春」を見て…米国はクーデタに全く関与しなかった?

統一ニュース記事 ‘서울의 봄’을 보고.. 미국은 쿠데타에 전혀 관여하지 않았다?

「ソウルの春」を見て

米国はクーデタに全く関与しなかった?

寄稿 韓統連議長 孫亨根

 最近、映画「ソウルの春」が、日本で東京の劇場で開封されたので早々見てきた。言うまでもなく12・12粛軍クーデタは、韓国の歴史的な重大事件である。また私が日本で青年活動家として韓国民主化運動に熱中していた時期に起きた事件であることから、事件の経緯は私の記憶に深く刻まれている。

 映画の内容は、最後の「光化門の対決」以外は、ほぼ史実に基づいて描かれていた。映画として韓国の重大事件を臨場感をもって再現したという点において、「ソウルの春」はとても優れた映画だと思う。この映画が韓国で1300万人以上のの観客を集めたというのも頷ける。 


 しかし、私は映画「ソウルの春」に物足りなさも感じた。

 1991年ソ連の崩壊まで世界冷戦時代に、韓国はその最前線だった。米国はソ連など社会主義の国々を敵視し同盟国を反共で結束させていた。米国の圧倒的な影響力のもと韓国では、李承晩・朴正熙政権という反共・反北政権が続いた。

 1979年10月、釜山・馬山をはじめ全土で民衆が独裁に反対する大規模示威を展開するなか、朴正熙大統領の射殺事件が起こった。米国は、韓国の激動が反共体制の弱化に繋がることを警戒した。韓国では反共・反北体制を維持しようとする米国と、民主化を実現しようとする民衆の間で、し烈な闘争が展開されてきた。米国は「ソウルの春」と呼ばれた民主化の進展によって、韓国が制御不能になるという不安感を抱かざるをえなかっただろう。

 反共・反北体制の維持を最優先する米国は、強固な反共・反北の秘密軍人組織だった「ハナ会」の台頭を拒否する理由はなかった。実際、米国は12・12クーデタ直後にクーデタを是認した。私はひょとすると、米国は12・12クーデタの前か、あるいはクーデタの進行中に「ハナ会」の動きを支持していたのではないか、という疑念を持っている。

 ところが映画「ソウルの春」は、米国が全く関与しない形で、12・12クーデタを描いた。映画の中で唯一、米国人が登場するのは、盧ジェヒョン(映画では呉グッサン))国防長官が韓米連合司令部の会議室で米国幹部と懇談する場面だけである。

 1979年12月12日、鄭昇和(映画では李ソンミン)陸軍参謀総長・戒厳司令官の公邸での異変事態に気付いた盧長官は、急いで韓米連合司令部に避難した。映画では会議室で盧長官に対して駐韓米軍司令官が以下のよう発言した。

 「韓国内部の問題で自分たちができることはないし、北朝鮮の動向も特にないし、(盧国防長官は)陸軍本部に行かねばならない」 

 果たして韓国国軍の統帥権を掌握している駐韓米軍司令官が韓国の問題に対して、何もできないのだろうか。私は、駐韓米軍司令官は韓国における軍事クーデタを止めることもできるし、成功させることもできる、というのが真実だと思う。この場面で、観客のほとんどは盧長官の無力感に対し、落胆し失笑していたが、私はむしろ駐韓米軍司令官の欺まん的な態度に怒りを持つべきだと思った。その後、盧長官は米軍司令官の指示に従い連合司令部を後にし陸軍本部に入った。盧国防長官が行った言動は、反乱軍に対する武力攻撃の禁止、総長逮捕に対する同意など、すべてが反乱軍側に立ったものだった。

 次に映画は、反乱軍の指示で休戦ライン近くに配備されていた複数の軍部隊がソウルに移動する場面へと続いた。反乱軍が駐韓米軍司令官の指揮権を無視するというこれ以上ない重大な違反行為を公然と行っていたにも関わらず、映画では米国の動向はまったく描かれなかった。

 映画「ソウルの春」が描いたように12・12クーデタに米国が全くかかわっていなかったのか、深く考察しなければならない。


 当時、駐韓米軍司令官はウィカム氏であった。彼は1980年8月、米国言論とのインタビューで全斗煥が大統領になることについて、「韓国人はドブネズミのようで、指導者が誰でも服従するので、民主主義は彼らに適合しない」と述べている。

 私は、米国に問いたい。「全斗煥大統領を無理矢理に韓国国民に押し付けた張本人はいったい誰か」と。

 最近、韓国では戒厳令発令の可能性の話が広まっている。新冷戦のもとで、再び悪夢が現実化しないよう、私たちは米国の動きを特に警戒しなければならない。けっして米国に騙されてはならない。私は映画を見ながらそう実感した。


2024年9月13日 記

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